バカ●ンのママなのだ!(2/4) ~ Forgetting brings happiness. ~

スピリチュアル


バカ●ンのママ、いわゆるカミさんからのメッセージのつづきです。


(つづき)

私の言葉を完璧に正しいとは
思わないでください。

以前このホームページでも
書かれていますように、
みなさんの言語では
表現できないことや、
正確に表せられないことが
あまりにも多すぎるからです。

そしてみなさんの言葉の定義は
とても曖昧です。
例えば「神」という表現も、
みなさんはその時々で
色々なニュアンスでとらえています。

「愛」という単語も状況に応じて
みなさんは都合よく
使い分けています。

いずれにせよ最後のよりどころは、
みなさんが
「どう感じるか?」
だけです。

やわらかい素直な気持ちでいるときの
自らの感覚を
よりどころにしてください。

常に言葉には限界があります。
だからその意味では
前回
「あなた方に『欠落』を与えた。」
という表現も
実は正しくありません。
方便ととらえてください。
本来のみなさまには
欠けたところなど何もありません。

そうではありますが、
このような話を続けると
言葉遊びにしかなりませんし、
時間の無駄になりますので
このくらいにしておきます。

そしてこれからのお話は
前回の「『欠落』を与えた。」を
別な表現にしていると
とらえていただいてもかまいません。


私はあなた方に「忘却」を与えました。

忘れることで、
思い出す喜びが生まれるのです。
「気づき」の喜びが
生まれるのです。

あなた方の人生は
「思い出す旅」
でもあるのです。

一番大切なことは
気づいた瞬間の「喜び」を
じゅうぶんに
感じることです。

これがあなた方の、
行動のエネルギーに
なるのです。

そしてこれは、
見えない世界での
宇宙のエネルギーにも
なっているのです。

「気づき」にいたるためには
「行動」が必要ですし、
そして「気づき」によって
次なる「行動」が生まれます。

この「行動」と「気づき」のサイクルが
あなた方の人生に
潤いをあたえます。

たしかに
「思考」による「気づき」
もありますが、
それには限界があります。

思考によって気づいたとしても
ほとんどの場合は
事前に「行動」がともなっていた「思考」のはずですし、
もし「思考」のみであるなら
それ以前に血のにじむような「思考」の結果だったはずです。

いずれにせよ「気づき」にいたるプロセスは
何でもかまいません。
とにかく気づいたときの
「喜び」が大切です。

だからこそ、
今のあなた方は
知らないことだらけの存在であり、
そして
知る喜びが
もたらされるのです。

できれば、
これから日々の生活で、
目にするもの、
聞こえてくるもの、
その他、感じるもの・・・
あらゆるものから、
ほんの些細なことでかまいませんので
何か発見することを
習慣にしてください。

よろしいですか?

そしてなぜ「いまここ」がこういう現実なのかが
少しは分かる気がしてきましたか?

以上です。

(つづく)