予め言っとくのだ!
昨日テレビでハリーポッターの不死鳥の騎士団を見ていると
例のあの人が「予言」を求めて戦うシーンがありました。
そこで今回は「予言」について書いておきたいと思います。
これまでも1999年や2012年をはじめ
色々な予言が出てきては、
印象的には外れていることが多いように思います。
もし予言が当たるならば
9.11の同時多発テロや3.11の東日本大震災なんてのを
予言してくれればいいのにと思います。
以前、運命は決まっている「決定論」か?、
それとも選択の自由がある「自由論」か?
についての記事を書きましたが、
その時の答えはとってもファジーな
「ドッチとも!」でした。
何でもそうなんですけど、
高次の存在(認識力)になればなるほど、
我々にとっては全く相反するようなことでも、
「ドッチとも」になってくるようです。
ちなみに我々の認識力では理解不能な
最終の究極的な存在がいるとすれば
その存在にとっては
「決定論」に集約されることにはなるでしょう。
選択の(迷う)余地がない存在ですからね。
で、究極は置いといて、
もし予言が当たるためには
「決定論」でないと成り立たないのですが、
これだけ外れるのであれば
「自由論」が優勢な次元に我々はいるのでしょうか。
この時の記事ではパラレルワールドについても書きました。
パラレルワールドとは、
全ての事象が同時進行で起きている別の世界が無限に存在する
という考えで、
この考えはスピリチャル的な話しというだけでなく、
現代の量子学でも同様なことが唱えられています。
ということは我々にとっては外れた「予言」でも、
別の世界では当たっていたかもしれません。
そしてどの世界に自分たちが存在するかは、
自分たちの選択によるのです。
でも選択しているのは無意識の意思なので
選択している気は全くありませんけどね。
つまり我々は(この記事を書いているタケルは)、
「予言」の外れた世界を選択したということです。
例えばタケルにとって「予言」の外れるメカニズムは次のような感じです。
① 誰かが、タケルの無意識の意思が
当たるべきでないとする「予言」をする。
② それを受け取ったタケルの無意識の意思は
その「予言」が外れる世界を選択する。
③ その結果「予言」の外れる世界を経験するので、
タケルにとって「予言」は外れる。
:
そうなると、なんでもいいから適当に未来のことを言っておけば
「予言」にはなるっちゅうことです。
そして当たるかどうかは、
無意識の意思が選択してくれるか次第ということです。
なので、どうせ「予言」するなら、
みんなが気分の良くなるような「予言」を多目にすればいい
ということですよ。
ということで、予言の当たり外れを予言してみました。
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