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センザイにアタックなのだ! (1/2)


今回のテーマは、「考え過ぎてもしかたない。」
という自戒の念も含めた内容です。

この「考えること」の限界について
とりあえず2つほど理由をあげてみます。


一つ目は「言語化による限界」です。

以前の記事(直感は論理にまさるのだ ~論理性の罠~)でも
考えたり、文章にするためには、
当然ですが言語化しないといけませんし、
この言語化による限界について
説明させてもらいました。

そして、この言語化の限界は、
いまあるものを表現することだけではありません。

ちょっと脱線しますが、
経済学者や経済アナリストの皆さんは
過去を分析することはできても
未来経済を正確に予測することはできません。
それは経済予測に関わる要素(変数)が
多すぎることもありますけど
過去を分析する要素は
言語化(この場合は変数化)できても、
未来の今存在しない想定外の要素は
言語化(変数化)できないからです。

つまり全く存在しない概念は
言語化できないのです。
極端に言えば
言語化できるものは殆どが過去のものだけ
なんです。

思考の要となる「言語化に限界」があることを知り
それによって思考することにも限界があることは、
考える際の前提条件として
十分理解しておく必要があります。


二つ目は「認識力による限界」です。

結局、我々人間は自分たちの思っているほどは、
頭がいいわけじゃないんです。
頭の良し悪しというよりも、
認識力のレベルに限界があるのですが、
ついこのことを忘れてしまっちゃうんです。

当然ながら自分の認識できる範囲の内側しか理解できず、
それが全てだと思い込んでしまうことで、
その全てが分かっている自分、
あるいは現代文明は、
最高であると早トチってしまうのです。

要は「認識力による限界」を知り、
それによって思考することにも限界があることは、
考える際の前提条件として
十分理解しておく必要があります。


この、言語化や認識力による
「考えること」の限界を理解することは
つまり、知ること、学ぶこと、あるいは科学すること・・・に
もっと謙虚になんなさいということです。

かつてギリシャの哲学者ソクラテスも
「無知の知」ということを、
つまり、
まずは「知らないことを知っていること」が
最も偉大なことであり、
そのうえで、
学んで行くこと、探求していくことが大切であると
言われていたようです。

孔子さんも同様に、「知」に関して
「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす。これ知なり。」
と言われていたそうです。
「知る」を深めるためには、
何よりもまず、
「知っていることと、知らないことを、知ることが大切」
だということです。

謙虚に、知らないことがある可能性を認め、
気持ちも含めてつねに中立な立場で、
素直であり続けようとすることが
知ることの、全てのスタートになります。

そして、知らないを知ったうえで、
知識や考えを深めていく必要があるのです。

(つづく)

タケル:

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