ブタもおだてなきゃ、木には登らないのだ! ~褒めることの大切さ~

考え方


今朝NHKの「おはよう日本」を見ていると、
本田圭佑らサッカー選手を育てた
田中章博さんという指導者が
「体罰のない指導」といったテーマで
取り上げられていました。

昨今のスポーツでの体罰問題を
背景にしたものです。

「ストロングポイントを伸ばす」、
「本人に気づかせる」、
「長い目で育てる(待つ)」
といったキーワードがあり、

確かにそのとおりだと思いましたし、
そしてそれを現場で実際に実践されており、
本当に尊敬します。

このような方が指導者として増えていってくれたら、
自立した、力強い、そして幸せな選手が
多く育つのだろうと思いました。

私も影ながらでも応援したいと思います。


このような、
教育の世界や、人にモノを教えたりする場合、
(もちろん体罰は論外ですが)
「褒めて育てる」とか
「叱って育てる」なんて
話になります。

人それぞれタイプがありますので、

褒られて、モチベーションの上がる人、
いい意味でも悪い意味でも調子に乗っちゃう人、
慢心しちゃう人、

叱られて、やる気が出る人、
萎縮しちゃう人 ・・・

と、様々ですので、
教える側は相手をよく見て
対応する必要があります。

そして教える側にも個性がありますので、
一人で対応が無理な場合は
褒め役と叱り役などに分かれて
役割分担するなど、
工夫が必要でしょう。

例えば、
刑事ドラマの取り調べで、
容疑者を威嚇するデカと、
カツ丼などで懐柔するデカに
役割を分担するような感じでしょうか?
(実際の取り調べではカツ丼は出さないようです。
どうせ出してくれるなら
沢庵と赤ダシ味噌汁も付けて欲しいところですね。)

で、今回、「褒める教育」について
普通はメンタル的な部分のみに
焦点を当てた話になることが多いようですけど、
自分の経験からにはなりますが
別の視点もあるのでご紹介しておきます。


私の父はかつてゴルフのハンデが11まで行った、
結構ゴルフは上手い方で、
私がゴルフを始めた頃に折角だからと、
教わったことがあります。

当然ながら初級者の自分は下手ッピーなので、
悪いところ満載です。
構えた時点で、
グリップが悪い、スタンスが悪い、前傾姿勢が悪い、・・・
色んなことを言われて、
とてもついて行けないので、
例えばスタンスだけでも言われたことを直そうと
「スタンスはこんな感じかなぁ?」と試みても、
スタンス以外の、
体重移動がおかしい、トップの位置がおかしい・・・
と果てしなく悪いところを指摘され続けます。

確かに悪いところ満載かもしれないけれども、
スタンスを直した時には
スタンスができているかできていないかを伝えることなく、
引き続き悪いところの指摘が続くのです。

その結果、
教わる前は、悪いながらも前に飛んでたのに、
結局最後はボールに当たりさえもしなくなりました。

私にとっては苦痛の時間でした。
父の指導の仕方では、
一度に色んなことを教えようとすることと、
さらに最悪なのが、
直す必要のない、
あるいは変えてはいけない良いところを
全く伝えようとしないので、
良いところまでが崩れてしまい、
スイングがガチャガチャに
なってしまったのです。

それ以来しばらくは、
トッツアンから教わるのはやめようと
固く決意したのでありました。


この経験もあり、
教育において、
直すべきところを指摘するのは大切ですが、
直すべきではないところも指摘すること、
つまり褒めることもそれ以上に重要
だと感じました。

良いところを褒めることで、
そこをシッカリ安定させ、
そしてより伸ばすことになる
のです。
 今日のポイントはココ!

ですので
褒めることをおだてることとしか捉えていない人は、
無駄褒めしているだけで、
効果半減です。

そして分野によりますが、
多くの人は良いところが伸びることで
悪いところも直ってくることが
往々にしてあります。

学校の勉強でも、
例えば国語が良くなると、
読解力が伸びて、
他の科目も良くなったりなんてこともあります。

本気で人を育てる気持ちがあるのなら、
褒めることは重要
なんです。


このように褒めることは大切であり、
褒めることに関する書籍なども多く出版されており、
会社の社内教育とかコーチングなどでも、
結構取り上げられるテーマでもあります。

ということは、
逆に今まで褒めることができていなかった、
不十分であったということの
裏返しでもあるということです。

ではなぜ、
褒めることよりも、
叱ることが指導の主流だったんでしょうか?

それは、叱ることと違い、
この褒めるということは、
訓練が必要な能力
だからなんです。

人間というか動物は、
生存のために、
嫌悪感や不快感、恐れなどを感じるものは、
敏感に感じ取ることができるようになっています。

簡単な例では、
よそのお宅にお邪魔して、
片付いている部屋は特に何も感じなくても、
ちょっと散らかっていたり、
ホコリが溜まっていると、
すぐに目に付きます。

不快なことは訓練しなくても、
察知できる能力が
元々備わっているのです。

一方で、
よほどピカピカなら別ですが、
普通に片付いているぐらいでは、
その良さには不快でないので
気づかないものです。

ここをすぐに褒められるような人は
タダモノではないと言ってよいでしょう。

褒めるためには、
常に良いところを見つけようと、
気持ちをスタンバイさせていないと、
できません

この能力、できる人には
それほど苦も無くできますが、
できない人は全くできません。

きっとそれまでの人生の中で、
褒めるという思考パターンを
養ってこなかったのでしょう。

あるいは人の良いところを評価することで
自分が相対的に下がったような気になる
精神的な葛藤がある人なのかもしれません。

ということで、今日のまとめは、
今はそれほどできなくても、
そして直接言えなくても、
常に良いところを見つける心構えをしていましょう
です。


最後に褒めるとは逆に
「叱る」ことについて、
自分は、他の人の悪いところを
「自分としては良くないと思う」と
言うことはあっても、
「叱る」といった行為は殆どしません。
そもそもあまり「叱る」シチュエーションに
なることもないような気がしますし。

そして、
相手に絶対やめて欲しいことは
「叱る」ではなく
「怒る」で
伝えることがあります。
本気では怒ってないんですが、
気持ちを込めて
伝えたいからです。

一般的には「怒る」ではなく
「叱る」が正解とされていますが
天邪鬼かもしれない自分は、
あえて「叱る」より「怒る」
ことがあります。

いずれにせよ、
褒める時も、叱る時も、怒る時も、
愛を持って接することが大切です。

動機の部分は
なんとなく伝わるもの
ですからね。