「中」良きことは美しき哉なのだ! ~バランス感覚のススメ~
性別に関係なく、
私がステキだなぁと思う人は、
たいてい
「バランス感覚」のいい人です。
この「バランス感覚」を発揮するには、
物事の全体が見えていて、
本質を掴む力がないとできません。
総じて「思考力の弱い人」は
「バランス感覚」も
弱い傾向にあります。
極端な事を言うのは、
頭を使う必要ないですしね。
ただし、
勉強やテストができるからと言って、
「バランス感覚」がいいとは
限りません。
というのもテストのほとんどは
先に正解があって、
その既にある(唯一の)正解を
答えさせるものばかりで、
ファジーな状況のまま
落としどころを決定させることは
あまり無いからです。
たまには△もあるかもしれませんが、
大抵は○か×かを考えさせるのが基本です。
ですので、勉強ができても
○×の思考パターンしか鍛えてこなかった人は
理屈っぽいだけで
「バランス感覚」は悪い部類に
入るかもしれません。
もう一押し、頭を使って、
多面的に物事を捉えるようになれば、
ステキな人になれるのに、
残念ですよね。
あと、何でもケチをつける人、
すぐ反対意見の立場に立ってダメ出しする人も
「バランス感覚」以前に、
頭の悪さ+性格の悪さ(卑屈さ、卑怯さ)を
感じます。
このケチを付ける態度も、
反対のことさえ考えれば
それほど頭を使わなくてよいだけでなく、
賛成することで発生する責任もないうえ、
(無責任のままでよく、)
そして批判していることが、
あたかも賢いかのように、
まわりに見せ付けることができるなど、
ご本人には何かとメリットがあるようです。
(こう書いてる私自身がケチを付ける人になってますねぇ。
イカン!イカン!)
かつて哲学者のヘーゲル等が唱えた
弁証法というものがあります。
これは、ある命題(テーマ)に対して
「正・反・合」というステップで
アプローチしていくものです。
「正(テーゼ)」は命題そのもの、
「反(アンチテーゼ)」はその命題と対立する考え、
あるいは矛盾となる事象(反命題)、
「合(ジンテーゼ)」はこの二つを結びつけ包含した
解決策や統合した考え方(統合命題)、
となります。
そして「合」は新たな「正」になります。
例えば、
エコカーの開発で燃費を良くするという
命題(正)に対して、
燃費を良くしようとすると、
エンジンの馬力が出なくなるという
反命題(反)があり、
これに対して、
エンジンの改良ではなく車体を軽量化することで、
馬力を維持して燃費を良くするという
解決策/統合命題(合)が出てきます。
次に軽量化によるエコカーが
新たな命題(正)になり、
これに対して、
軽量化することで車体の安定性が悪くなる
反命題(反)が出され、
車高の高さを抑える、
あるいは流体力学を考慮した形状で安定させるという
解決策(合)が出てくる・・・・
といった感じです。
以前「プログラム世界観」の記事を
書きましたが、
これも「正・反・合」の関係が成り立ちます。
「決定論」と「自由論」は
「正」と「反」であり、
「自由に選択できることまで含めて決定している」という
「プログラム世界観」が「合」になります。
ショボい事例にはなりますが
最近の個人的な出来事で言いますと、
実家は木造なこともあり、
お風呂の扉やその周りの額縁も木製です。
私がお湯をジャバジャバ体に掛けると、
結構扉にまでお湯が掛かってしまい、
それに気づいた父親から
「風呂の扉が腐る!」
と怒られました。
こんな身近なことでも
弁証法的に捉えると
「シッカリお湯で体を洗い流す」と
「お湯が扉に掛かり木の部分が傷む」が
「正」と「反」になります。
それで解決策として取ったのが
「風呂フタを扉に立てかけて扉にお湯が掛からないようにする。」で、
これが「合」です。
たとえはこれくらいにして、
ここでお伝えしておきたいのは
「反(アンチテーゼ)」を提起するだけで、満足するな!
あるいは大きな顔をするなヨ!
「反」を出したら「合」まで追求しなさい!
今日のポイントはココ!
ということです。
結構マスコミなんかの論調は
「反」あるいは安易な「合」で
終わっていることが
多いように思いますネ。
(あと、「表現の自由」を主張する割には、
「自由」に必ず付随する「責任」の部分は
全く言わないところも
卑怯さを感じます。
報道するときは
「表現の自由と責任」といった、
不足のない言い方を
して欲しいものです。)
例えば、
「円安になって輸出しやすくなった」が
「正」とすると、
「逆に輸入品が高くなり問題だ!」が
「反」で、
ここで終わってしまうか、
「政府の対策が不十分!何をやってるんだ!」
といった
お決まりの安易な論調で、
何の解決策(合)にもならない
ケチを付けただけの報道が多いです。
この場合、
日本全体として結果的に円安誘導策を取っているので、
それに伴う事象はまず受け入れること。
次に輸入品が高くなっても
それ以上の所得の伸びがあれば、
問題ではなくなるので、
所得の伸びに繋がる輸出支援策を軸とした
景気対策を取ることが、
比較的「合」に近くなる考えになりますので、
マスコミの報道としては、
特に輸出関係で成功しつつある企業や事例を紹介するなど、
輸出関連の事業(お金)の流れが盛り上がるよう
仕向けることが
より建設的な対応になるものと思います。
(そうはうまくはいかないでしょうけど、
努力はしてもらいたいところです。)
このように「反」止まりでは
何の解決にもなりませんが、
ただ、「反」があることによって、
発展や改良のきっかけになるので、
「反」を出すことは自体は大切です。
そして、仮に「合」に至らなくても、
少なくとも
「合」に至る可能性を意識することで、
今回のテーマ「バランス感覚」と、
さらには「謙虚さ」も養うことができる
ものと思います。
ちなみにこの「バランス感覚」は
仏教では「中道」、
儒教やアリストテレス倫理学では
「中庸(メソテース)」
のことになります。
ということで今回のまとめは
弁証法でいうところの
「合」を意識して、「バランス感覚」を高め、
ステキな人になりましょう!
ということです。
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