アキレスは亀を追い越せるのだ! ~この世はパラパラ~
「アキレスは亀に追いつけない」
というパラドックスを
ご存知でしょうか?
これはゼノンという
古代ギリシアのエレア派の
自然哲学者が唱えたものです。
「アキレスと亀」という言葉自体は
北野武監督の映画で
お馴染みかもしれませんが、
このパラドックスから
引用されたものと思います。
内容をザックリ紹介しますと、
「俊足のアキレスと鈍足の亀が
競走することになりました。
亀は足が遅いのでハンデをもらい、
アキレスより前の地点から
スタートすることになりました。
亀のスタート地点をA、
アキレスのスタート地点をBと仮にして、
ヨーイドン!で、スタート。
間もなく俊足のアキレスは
A地点とB地点の中間点(C地点)に
到達します。
一方でその間、亀は遅いながらも、
少し前(A+a地点)に進んでいます。
その後アキレスは
C地点とA+a地点の中間点(D地点)に
到達します。
亀も遅いながら、着実に前進し
その先のA+b地点に達しています。
また次にアキレスは
D地点とA+b地点の中間点(E地点)に到達し、
同時に亀も少し前のA+c地点に到達します。
:
そして、この考え方は
無限に展開を続けることができ、
結局アキレスはいつまでたっても、
亀に追いつけない。」
というものです。
ということで、亀はスゴイ! 亀さんアッパレ
というのが結論ではなくて、
実際にはアキレスが
あっさり亀を追い抜くことができることに対する
矛盾・パラドックスが論点です。
ちなみに同様なパラドックスに
「弓矢は的に当たらない」
というものもあります。
で、このパラドックスについて
考えてみましょう。
パラドックスが発生しているということは、
おおよそ次の視点で
問題点を検証する必要があります。
視点1)論理自体が間違っている
視点2)前提条件が間違っている
番 外)パラドックスが合っている
(パラドックスではない)
視点1の「論理違い」に関しては
ネットで調べると数式を駆使して
皆さん説明されているようですので、
ここでは割愛します。
そして今日のお話のメインになるのが、
視点2の「前提違い」についての内容になります。
で何の前提が違っているのかと言いますと、
「長さ(距離)は無限に分割できる(連続的)」
というところです。
つまり
「長さ(距離)は無限に分割できない(離散的)」
今日のポイントはココ!
ということになります。
であればこの世界には
「最小の長さ」があることになりますが、
物理学の世界では
「プランク長(1.616×10の-35乗メートル)」
という最小の長さがあります。
量子力学と相対性理論から
導きだされるそうで、
これより短い長さは
捉えることができないようです。
(ちなみに最小の時間は
「プランク時」と言います。)
つまりアキレスも亀も
そして弓矢も
連続的に動いているのではなく、
飛び飛びに(離散的に)
移動してることになります。
このことから
プランク長より短くなって
分割ができなくなる瞬間に
アキレスは亀に追いつき、
次の瞬間に
亀を追い越すことになります。
亀さん残念!
アキレスも寝てくれればイイのにねぇ。
そしてこの摂理は
アキレスと亀や弓矢だけにとどまらず、
全ての物事に
当てはまることになります。
つまり、我々は
3次元版パラパラ漫画のように動いている
のです。
前の瞬間と次の瞬間の変化の差が
極めて少ないため
連続的に動いているように
見えるだけなのです。
もし無限に連続的であれば、
・長さの無い「点(0次元)」がどんなに集まっても
「線(1次元)」にはならず、
・幅の無い「線(1次元)」がいくら集まっても
「面(2次元)」にはならず、
・厚みの無い「面(2次元)」が無限に重なっても
「空間(3次元)」にはならないのです。
つまり、
あらゆるものは
飛び飛びに(離散的に)配置されることで
存在することができ、
ココも今日のポイント!
そして
動く(変化する)ことができるのです・・・・
そして、この「動き」、「変化」には
時間(時系列)の要素が必要になってきます。
「空間(3次元)」を時系列に配置したものが
「時空間(4次元)」になります。
さらに続けると、
4次元を配置して5次元、
5次元を配置して6次元と、
次元が上がっていくことになります。
我々の認識レベルは超えていますけどね。
以前「プログラム世界観」の
記事を書きましたが、
離散的(パラパラ漫画的)であれば、
プログラム化することは可能になります。
この世界は
処理のタイミング(クロック数)が
「プランク時」のコンピュータで
実現されているようなものです。
またこの記事では、
全ての事象(3次元版パラパラ漫画の一コマ)は
潜在的に存在しており、
経験するのは
どれを選択するか、
どこにフォーカスするかだけ
と書かせてもらいました。
それでは、まとめということで、
あらゆるものは飛び飛び(離散的)である。
そして前の瞬間、今この瞬間、次の瞬間は
全く別モノであっても良く、
自ら選択(フォーカス)したものを、
今この瞬間経験する。
ということです。
ちなみに、瞬間、瞬間が独立して、
選択し直せるとしても
今の我々の認識力では
いきなり福山雅治のような容姿にはなれないので、
その容姿のままで、
あきらめてください。
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