直感は論理にまさるのだ ~論理性の罠~

考え方


前回「絶対的な正しさはない」
というお話を
させてをもらいました。

今回は若干ながら、
前回の続きでもあります。


特に会社で仕事をしていると、
論理性を問われたり、
ロジカルシンキングなどを
要求されることが
多いと思います。

確かに、
論理的であることは
大切ですが、

現実問題として
実際は論理だけでは
解決できない状況も
多くあります。

では、
なぜ「論理的」が
万能でないか?を、
論理的に考えてみましょう。

まず「論理化」ということを
するために、
一番最初に必要とされるのは
「言語化」です。

その対象に関する
あらゆる情報を
「言葉」で表現する
必要があります。

そして一番の問題は、
この「言語化」する過程で
膨大な情報が
削ぎ落とされてしまう

ということです。
 今日のポイントはココ!

例えば「イス」と言っても、
ソファーだったり
座イスだったり、
色々あります。

仮に書斎で使うイスを
買う場合でも、

肘付きなのか、
リクライニングできるのか、
そのリクライニングは何段か、
座高は変えられるか、
素材は布なのか革なのか、
素材はスチールか木製か、
軽いか重いか、
オットマンはあるか、
価格は、支払い方法は、
何年か保証が付いているか、
配送費はいくらか、
配達の時間指定はできるか、
古いイスは引き取って貰えるか
・・・・、
イスを買うだけでも
色々な情報があります。

さらに厄介なのが、
デザインや質感、
ブランドの好み、
タレントの誰それが使っているのと
同じだから好き、逆にイヤ・・・
といった
フィーリングに関わる情報です。

そして
そんな様々な情報を総合して、
最後に一番大事なのは

自分が気に入って
購入~設置にまでいたるかどうかです。

論理的に考える場合には、
その対象の、
様々な情報のうち、
極一部を使って
処理を行わざるをえません。

でないと
処理が追いつかないからです。

採用された情報(インプット)が完璧で、
論理の展開(処理)も適切なら、
その論理から導き出せる
結論(アウトプット)も、
きっと大正解のハズですが、

どこかに少しでもハズレがあると、
なかなかそうも行かなくなります。

繰り返しになりますが、
「論理化」のために
「言語化」することによって、
様々な情報が抜け落ち、
その抜け落ちた情報を元に
論理を展開しても、
実際とはズレた結論が導かれる。

これが「論理性」の限界です。

よく仕事の改善手法の中で
「見える化」という
対応を取りますが、

これが有効なのは

視覚情報のほうが
言語情報よりも
遥かに多くの情報量を
一度にとらえやすいため、

理屈抜きで分かりやすく、
判断しやすからだと思います。

また、「三現主義」という
「現場」、「現物」、「現実」を
重視する姿勢もありますが、

こちらも、
言語情報のみに頼らない、
五感全てを使って
状況を把握するために、
有効な手段となっています。


で、仮に
「論理」に限界があるとしても、

よく優秀な経営者や
マネージャーなどが、
ほぼ的確な判断、
ジャッジを下せるのは
なぜなんでしょう?

しかもこうゆう人たちは、
結構、論理的に説明をして
説得力があったりします。

彼らの思考パターンを
よく観察すると見えてくるのが、

この人たちも、
ほとんどは最初の一瞬で
直感的にジャッジしており、

論理はその直感を補完するため、
自分自身が納得できるため、
そして他人を説得するために

あとから展開されているように
見受けられることです。

逆に彼らが優秀なのは、
自らの中に蓄積された
膨大な知見をもとに

直感的に見抜く能力が
あるからだと思います。

論理から導き出された
結論ではなく、
直感から導き出された
結論(仮説)を、
論理で説明(検証)する。

これが、適切な論理の利用方法
だと思います。
 ココも今日のポイント!

先に答えのある説明のための
論理展開であれば、

これに必要な元情報も
限定されるため

(つまり膨大な情報を使った処理を
行う必要がないため)、

現実的な処理(論理展開)が
行えます。


また、前の記事で
「絶対的な正しさはない」
と書きましたが、

この「正しさ」を導き出すにあたり、
「論理」だけを元にしたものであれば、

以上のことから
「正しさ」自体が危うい
可能性があります。

一方「直感」のみによる「正しさ」は
大丈夫かと言えば、

「直感」自体が百人百様なので、
共通した「正しさ」は
難しいはずです。

「論理的」でかつ
「直感的」にも納得できる
「正しさ」でないと

本当の「正しさ」とは
言えないかもしれません。

いずれにせよ、
もともと「正しさ」は
前提条件付きであるため、

各自それぞれで、
「正しさ」の正しさを
「直感的」に見る必要があります。


ここまで「論理的」が
あまり良くないように取られる内容に
なってしまいましたが、
そんなつもりはありません。

また、「直感的」ということも、
一歩間違うと
「感情的」とすり替えられる
危険性があるため、

「直感」を活用するには
冷静さが必要
とされます。

「人の不幸は蜜の味」
なんてことを言いますが、

これはまさに
「感情的」な捉え方です。

それこそよく「論理的」に
考えてみてください。

仮にお隣さんが
莫大な借金をしたとすれば、
可能性としては
ウチにお金を借りに来ることがあっても、
お金をくれることは
あり得ません。

逆にお隣さんが
数億円の宝くじが当たったとすれば、
可能性として
何か奢ってくれたりすることはあっても、
お金を借りに来ることは
まずありません。

まわりに不幸な人がいれば
不幸な余波を受けるし、
まわりに幸福な人がいれば
幸福な余波を受ける
可能性があるのです。

相対的な幸福感や不幸感は
確かに「感」だけあって
「感情的」なものですが、

ただこの場合は
「論理的」であることが大切です。

さらにこの「人の不幸は蜜の味」が
どんどん展開されていくと、
全体が極めて不幸な状態になり、
結局自分自身が
最悪の不幸に陥ることに
なるのです。

だからこそ
「他人の幸せが、自分の幸せ」
と考える必要があるのです。

(今は感情的に無理だとしてもです。)

これは全て「論理的」に考えた
帰結です。

この例のように、
結構、
論理的に考えるべき時に、
感情的に対処したり、
感覚や直感に従った方が良いときに、
一生懸命考えたり、

自分もできていませんが、
バランスの悪い人、多い
ですよねぇ


ちなみに、
男性の多くは論理的に積み上げて
結論に持っていこうとしがちで、
そのため時間がかかる上に、
結果もなんとなく
的外れになることがあるようですが、

女性の大半は
感覚的に一気に結論まで導くため、
筋は通っていなくても、
早くて、概ね合っていることが
多いようです。
(ただし感情ではなく
素直な直感に従った場合ですけどね。)

これは女性の方が言語情報以外の
コミュニケーション能力も高く、

言語以外の情報を活用できることに
起因していると思われます。

そう考えると、
先の優秀な経営者やマネージャーは
女性的な感覚面(直感)と
男性的な論理性を
持ち合わせている人なのかも
しれません。


ということで、
今回のまとめてしては
 「まずは直感、論理は後から」
です。

以上、言語情報による
論理的(?)な解説でした。