「正しさ」は正しくないのだ!

考え方


よそのブログやHPを見ていると、
前提条件自体が異る的外れの意見で、
「違う、間違っいてる」と
コメントされたりすることが
あるようです。

そんなコメントにもオーナーさんはキチンとレスを付けたりして、
本当に関心させられます。


話はちょっとそれますが、
そもそも日本語は

「違う(different)」と
「間違う(mistake)」が
異なる概念にも関わらず、

そっくりな語感なので、

同じ意味合いで捉える日本人が、
本当に多いようです。

「違う」≒「間違う」≒「悪いこと」
で連想して
「違う」=「悪いこと」

という思考パターンになる人が
多いということです。

後半の「間違う」≒「悪いこと」は
仕方ないとしても、

前半の「違う」≒「間違う」は、
それこそ「間・違って」います。

もちろん「違う」を「間違い」の意味で
使うこともありますが、
これは
異なってはいけない前提がある場合
です。

この前提の有無を考えるのをサボると
「違っても良いのに
間違い扱いされてしまう」
のです。

その勘違いのおかげで

日本人の国民性として、
「違う」ことを嫌い、

これが良い方向に行くと
「高品質(均質)」に繋がっている
と思いますが、

悪い方向に行くと
「違い」をバッシングして、
個性の欠如や、
イジメなどにも繋がり得ます。

逆に英語だと、different(違い)には
そこまでネガティブなイメージは無いように思います。

言葉のイメージによる
国民性への影響は他にも

「古い」≒「ダサイ」「悪い」

「新しい」≒「カッコイイ」「良い」

という感覚が他の国民より
強く刷り込まれているようで、

日本人は世界的に見ると
新しいものを好むようです。

木造が基本で地震の多い日本では
仕方ありませんが、

欧米のように何百年も前の家に住むのも
当たり前って感覚は無いですよね。

(逆に英語の「OLD」には親しみの
意味もあります。)


で、話を戻して
「違う」、「間違う」についてですが、

「間違う」ためには
「正しさ」が必要になります。

この「正しさ」というものには、
必ず前提条件が付いており、
絶対的な正しさはあり得ません。
  今日のポイントはココ

例えば戦争になれば
人殺しも是とされてしまいます。

このような極端な例は
理解しやすいでしょうけど、

日常的に問題なのは
「ありふれた正しさ」の方
だと思います。

先の「違い」から派生した
「人と同様であるべきとする正しさ」とか、
「新しければ良しとする正しさ」とか、
どれも
前提をよく考えていない決めつけ
があるように思われます。


話はまたそれますけど、
自分は歳を取ってから
「正義」という言葉が
好きではなくなりました。

子供の頃は仮面ライダーなど
「正義のヒーロー」ものを
一生懸命見てたんですけどね。

(ちなみに孫正義さんは
好きですヨ。念のため。)

「正義」が存在するためには
「悪」が必要になります。

百歩譲って「悪」というものが
先に存在していたとすれば、
立派な「正義」なんでしょうけど、

実際には自らの行動を正当化するために、

自分たちを
「正義」のポジションに置いて、
そして別のところに
「悪」のポジションを
後から作っているようにしか
思えてならないときもあります。

(これじゃ「正義」と言っている方こそ
「悪」でしょう。)

いずれにせよ、
価値観の「違い」なんかはあっても、

「完全なる悪」も「完璧な正しさ」も
存在しないのだと思います。

前アメリカ・ブッシュ大統領が
「ジャスティス(正義)」って単語を
よく使ってましたけど、
メチャクチャ不快に感じます。

(オバマさんが言っても
それほど感じないのかも
しれませんけどね。)


で、話をまた戻して、
長くなったので
いい加減まとめに入ります。

自分は
絶対的な正しさはない
ということを、
少なくとも頭の片隅には
常に置いてます。

そして「違う」ことが起きても
「間違い」とは取らずに、

「ボケ」か「ギャグ」だと
捉えるようにしてます。

そのせいか、お蔭様で、
自分自身が好むと好まざるとに関わらず

この世の中
「ボケ」だらけの「ギャグ」満載です。

おそらく
「違い」=「間違い」
という価値観が強い人は、

いつもイライラ、ストレスが多い
と思います。

もう少しよ~く考えてみて

「違い」≠「間違い」の価値観を
受け入れてみるだけでも

生き易くなると思いますよ。

どんな価値観を選ぶのも
人それぞれの自由。

てことで自分は「人生はボケだらけギャグだらけ。」
ということにしておきます。