全ては決まっているのか?

スピリチュアル×科学


先日参加したいまここ塾の合宿セミナー
比叡山リトリート最終日の質疑応答で

全てのことが決まっている
「決定論」の世界観が
正しいのか?

全ては自由意志で変えることができる
「自由論(偶然論)」の世界観が
正しいのか?

といった質問があり、

講師陣の皆さんも
意見が分かれてましたので、

その時出されなかった考え方を
参考までに紹介します。


説明は以下の3ステップになります。

●ステップ1:単純プログラム世界観

この世界は

「RPG(ロールプレイングゲーム)
のように
全てはプログラミングされている。」

という考え方です。

右の道に行くのか
左の道に行くのかを
選択するのは

プレーヤの自由意志に
まかされていますが、

それも所詮
用意されたプログラム上
(神の掌の上)
でのことになります。

つまり

プログラムの視点では
「決定論」、
プレーヤの視点では
「自由論」が
同時に成り立つ

ということです。

ちなみに現代科学でも、

量子論では平行宇宙という考えがあり、

ザックリで説明すると、

あらゆる事象は
全て潜在的には存在しているが、

(意思により/観測により)
経験するのは
一つの宇宙だけというものです。

興味のある方は

「平行(並行)宇宙」、
「パラレルワールド」、
「シュレーディンガーの猫」

などで検索してみてください。

それとバシャールの本
バシャール×坂本政道 人類、その起源と未来」 でも、
並行宇宙(パラレル・アース)
について説明していましたので、
ご参考まで。

この考え方を発展させると

過去も未来も
自由に選択し直せる
(過去も変えられる)ことや

一方で単純に
「人生はゲームと同じ」と
安易にとらえられると
弊害もあるなど、

話は広がるのですが
ここでは割愛します。

●ステップ2:統合プログラム世界観

単純プログラム世界観では

プログラムソフトとプレーヤとに
分けて話しましたが、
次のステップとして、

この
「プログラムソフト+プレーヤ」も
実は合わせてプログラムソフトだ
 という見方です。

オンライン上の仮想世界で
アバターがオートプレイしている
感じでしょうか。

映画のマトリックスや
ちょっと古いですが小説のループの
イメージの方が
分かりやすいかもしれません。

●ステップ3:多段階プログラム世界観

次の段階として、

統合プログラム世界が
存在するためには、

このプログラムソフトを
開発(創造)して
プレーしている存在もいる

ことになります。

そして、この
「プログラム+プレーヤ(存在)」も
やっぱりプログラムソフト
であり、

その次の段階、
その次の段階、
その次の段階と
果てしなく続いていき、
最後は究極の一つになる

というものです。

この究極の何かを

神と呼ぶのかどうかは、

プログラムの中の我々には
もう理解不能、趣味のレベルです。

イメージとしては
↓こんな感じでしょうか?

※バカボンパパの絵は
漫画「天才バカボン」からの掲載です。

で、この世界観をまとめると、

究極の存在によって
全ては決定している。

そして我々各々は
決定されたものの中で
自由に存在している。

(どこに存在するかは
エネルギーの質などにより様々。)

ということになります。


ということで、
この世界観からすると、

究極的には「決定論」
考え方になりますけど、

ただ、結局目の前の
「いまここ」に立ち返った場合には、

「自由論」
の姿勢で
自分たちは存在すべきだと思います。

例えば、
赤ちゃん同士が
100m10秒で走ることについて
座り込んでバブバブ話しているよりは、

とりあえずハイハイができるようになり、
立って歩けるようになることが
先だということです。

あくまでも一つの考え方であり、
何の証拠もありませんので、

「信じるか信じないかは、
あなた次第です!」
SAさん
↑ 何や「都市伝説」やないかい!

ということで、
あしからず!です。